インプラントの見せ所

こびりついた汚れは、それらのばい菌の絶好の培地になってしまうので、清潔にしておく必要がどうしてもあるのです。 それでなくとも、寝たきりの患者さんは、唾液や疾でむせるうえに、肺の中の空気がよどみやすいため、肺炎になりやすいもの。

よく新聞の計報に、脳卒中で入院したはずの人の死因が〃肺炎″とあるのは、寝たきりになるとそれだけ肺炎が命取りになりやすいということなのです。 で、先日、私が夜勤明けに休憩室で休んでいると、その後輩がうれしそうな顔をして休憩室のドアを開けて入ってきました。
その時私たち夜勤者三人は、朝のお食事中。 夜勤のために持ってきた山のような弁当の残りを平らげるのが、夜勤明けの恒例なのです。
彼女は、後ろ手になにかを隠したまま、いたずらつけたつぶりにニコニコ。 「M子さーん、見たいですかぁ?M子さんなら見たいですよねえ。
ちょっと気持ち悪いけど。 ぜひ、見てください。
これが今日の収穫です!じゃじゃじゃじゃあーん!」とファンファーレとともに彼女が差し出した手にはポリ手袋がはめられ、そこにはこわこわの疾がたくさんはりついたガーゼがしっかり握られていたのです。 「もう、カピカピにはりついていたから、取るのがたいへんでした。
昨日から気になってたんだけど、昨日は取る時間がなくって…。 家に帰ってからも気になってたんですよ。

だからこそ、私たちはちょっと残酷かと思いつつも、時に患者さんの口をこじ開け、きれいにしてまわります。 結果としてそれが楽しみになる人もいますが、けっして楽しみのためにやっているわけではありません、念のため。
「すごいねえ。 こんなになかなか取れないわよ?さすが」ほめるほどに、彼女の顔は誇らしげになります。
ほめるほうもほめるほうなら、自慢するほうもするほうなのかもしれませんが、こんなしようもない腕自慢を通して、看護婦同士は連帯感を深めてたりするんですよね。 私だって、あまりにたくさんの便をかき出したときには、人に見せたくなるし、その辺はお互いさま。
帰りにのぞいた当の患者さんの口の中は本当にさっぱりしていて、気持ちよさそうでした。 食事をしている手を休めて、私たちもついつい彼女の手をのぞきこむ。
「げげ。 さすがにこれ、食事中に見るもんじゃないよね?」と、一同、一瞬目をそむける。
でも、抑えきれない好奇心からついついもう一度のぞきこんでしまうのが、看護婦の悲しい性で…。 それにしても、黄色い疾がたたみいわしのように平たく固まったそのものは、それまでに見たことのない量と、一個一個の大きさでその後輩は、ガーゼで口の中を拭きまくるだけではなく、少しでも動ける患者さんには、どんどん手伝って歯磨きをさせていきます。
「さあ、歯を磨きましょう」「さあ、せめてうがいだけはしましょう」夜勤の朝と、準夜勤の夜は、歯磨きと洗面の介助がルーチンの業務になっています。 その係に彼女が当たると、だれよりも熱心に彼女はその仕事に燃える。

別に他の看護婦がいい加減というわけではないのですが、やはり、人それぞれ〃これだけは譲れない〃と燃える仕事には、個性がにじみ出るのです。 ある時、彼女はその熱心さゆえに、ひどい目にあったことがありました。
それはあるリウマチその他で寝たきりのおばあちゃんを世話していた時のこと。 その患者さんは、はっきり言って底意地が悪く、看護婦のやることにひとつひとつ文句を言わなければ気がすまないタイプの人だったのです。
私などは良心の珂責を感じつつも、なるべく彼女にかかわらないようにしていた。 だって、身体を拭いても、オムツを替えても、「ああ、動かされて身体が痛くなった」ばっかりだったんですもん。
必要な援助はもちろんしましたけど、あまり積極的にかかわらなかったことは事実です。 でも、その後輩は、積極果敢に彼女の口の中をきれいにしようとしました。
一生懸命うがいを勧め、入れ歯まできちんと洗って磨いてあげて…。 でも、そのしっぺ返しはあまりに強烈だった。
おばあちゃんは、うがいしている水を、後輩に向かって吐きかけたのです。 「ぺつ」汚い水が、彼女の手や白衣にかかりました。
その瞬間、いつもニコニコしている彼女が、「なにするのっ」と怒鳴り、ちょうどその部屋のそばにいた私は、その声を聞いて彼女のもとに走り寄ったのですが、そこには怒りのあまり顔を真っ赤にした彼女と、ふてくされて横を向いたおばあちゃんの顔がありました。 私が入っていくと、彼女は自分の大声が恥ずかしかったのか、「手に、水を吐かれたんです」とだけ言うと、外に出ていってしまいました。
私はなにも言えずにあとをついて外に出て、「怒って当たり前だよ」と、彼女に言いました。 私もそうなのですが、看護婦にとって一番後味が悪いことのひとつに、患者さんに怒ったところで、介助が必要な人のマウスケアでいつもトラブルのもとになるのは、入れ歯。
さっきまでしていたはずの入れ歯が見当たらないとなると、はいつくばってベッドの下をてしまうことがあります。 基本的には、看護婦だって人間なのだから、ひどいことをされれば怒る。

そして患者さんだって人間である以上、人間としてやってはならないことはあるはずで、それを踏み外したら看護婦が怒るのも当たり前なんだと思うんですよね。 でも、頭でそう割りきってはいても、患者さんは弱者で、医療者は強者であるという、世の中にできあがってる図式というものがある。
実際の現場では、そう簡単に言いきれるものじゃないって思う部分もあるのですが、いざという時になると、その図式が頭をよぎってしまいます。 自分は、立場の弱い、身体も心も弱った患者さんを、怒鳴ってしまった……。
そう思うといても立ってもいられなくなるのが、大方の看護婦だという気がします。 彼女も、一時は結構落ち込んでいましたが、それでもマウスケアの鬼は健在だった。
「吐くなら吐けですよすぐによけてやるから」そう言いながら、めげずにそのおばあちゃんのもとに行く彼女は、全身から迫力がみなぎっていました。 のぞきこみ、ゴミ箱までひっくり返す騒ぎになります。
もちろん、そうならないように気をつけてはいます。 朝晩の歯磨きの時にきちんと洗ってだいたい決まったところにしまっておくのですが、なかにはひと晩じゅうしていたいという人もいる。
また、食事の時にはめたらはめたで、残った御飯の中に突っ込んでおく人や、ティッシュと一緒に捨ててしまう人などもいて、なくなることも少なくないのです。 「あのー入れ歯が見当たらないのですが」と、面会に来た家族に言われるたびに、ぞっとする。
一度は下膳のあとの残飯の中まで見に行ったこともありましたが、そうそう見つかるものじゃありません。 見つかる時は、ゴミ箱の中や、身体の下から見つかるんですが…。
高価な必需品だけに、なくなった時の後味の悪さったらありません。 以前、入れ歯がなくなったといって、家族からものすごく叱られたことがありました。

たしかに申し訳ないと思いましたが、私にも言い分はあった。 その患者さんは、御飯を食べる時にお膳はひっくり返すわ、食べたものを口から吐いてベッドじゅうになするわで、食事のお世話に一時間以上かかる人でした。
そのあげくに、入れ歯をお粥の中に埋もれさせたりするので、最後の入れ歯捜しがまたたいへん。

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